荒彫りから仕上げ彫りまで200本以上のノミ、彫刻刀を駆使する高度な技術を持ち、彫刻産業として全国一の規模を誇っている富山県井波町。この木彫りの里・井波に日本で唯一の木彫刻だけの職業訓練校、「井波木彫刻工芸高等職業訓練校」があります。生徒たちが一生懸命に卒業作品にとりくんでいる同訓練校を訪ねました。 |
同校は、200年の伝統を誇る井波彫刻の発展、技術・技能の継承のため、戦後間もない1947年(昭和22年)に創設(技能養成所)から、今日まで50年の歴史を持っています。将来、井波彫刻の後継者として独立・自営を目標に優秀な技能者を養成しています。
これまでの卒業生は500人を超え、伝統を受け継いでいます。
江戸時代中期(1774年)瑞泉寺本堂再建の折、京都東本願寺御用彫刻師前川34郎から、地元大工番匠屋9代七ヱ門らが彫刻の技法を本格的に習ったのが「井波彫刻」の始まりといいます。通産大臣指定の伝統的工芸品に指定されています。
その井波彫刻の伝統技法は数工程を経て完成させます。井波欄間の場合、原木の選定からはじまり、六カ月から1年間自然乾燥させ、考案した図柄のアウトラインに沿って糸鋸(のこ)機で不要部分を切り取り、荒落としをし、さらに一カ月間自然乾燥。70種ものノミを駆使して彫り上げ、荒削りなど数工程を経て、さらに20数本のノミで小彫りをし、仕上げには彫刻刀70種類を使います。 |
住宅の変化に対応
「時代のニーズに応えていくのがわれわれの役目です」と話すのは井波彫刻協同組合常務理事で、訓練校対策部長の岩倉雅美さん。木彫刻の9割が受注生産で、注文を受けてから約半年かかるといいます。「お客さんが今すぐほしい、といえばそれに応えいくようなことも考える必要があります」
また、住宅事情も変わってきています。「数年前までは欄間が90%だったが、今は50%ぐらいで、パネル、衝立(ついたて)、間仕切りが多くなっています」と話します。
新製品の開発も求められています。「住宅事情の変化や輸入ものあり、不況の影響もあり、それにどう対処するか、と組合で十年前から新製品の開発に乗り出しています。また、需要開拓面でも北陸だけでなく、全国的に広げたい。そうした問題もクリアし、後継者育成と、安心して営業できるような環境づくりに務めたい」と話します。
井波彫刻協同組合理事長で、訓練校校長の高田行雄さんは「伝統を継承しつつ、時代に沿った21世紀をみすえたカリキュラムにしている。昔ながらの伝統だけではなく、今の時代にマッチしたものでなくてはならない。ここでは一通り基礎的なことを教えているし、生徒達がそれなりに修得し、時代に対応してほしい。そして立派に独立していってほしい」と生徒達に期待します。
木彫りに魅せられ
卒業作品(パネル)にとりくむ5年生の生徒たちに感想を聞いてみました。
「あれもやろう、これもやろう、と思いながら、5年間過ぎました」というのは埼玉県行田市の女性。「木の持つやさしさというか素材が好きで入りました。また、知り合いの人の作品を見て、やってみようと思いました。他人にできない魅力あるものを彫りたい」と目を輝かせます。
高岡市の女性は「伝統的な仕事に就きたいと思っていました」と作品づくりに励みます。
地元井波町の19歳の生徒は17代目を目指し、「新しいものに挑戦したい」と言葉少なに語ります。
脱サラで職人の道を選んだという28歳の生徒は「親方の家から五年間通わせてもらった。実際やってみると、見ていたのと全然違う。厳しさを学んだ」といいます。
木彫りの魅力に勤めを止めてこの道を選んだという28歳の生徒は「伝統的なものは生かしつつ、自分の色を出したり、作品に幅を持たせたい。将来的には時代のニーズにあったやり方をすすめていくつもりですが、どう展開していくかは課題でしょう」と語っていました。
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