なんと言っても看板がその本領を発揮するのは商工業が著しく発展した江戸時代、とりわけ元禄時代(一六八八〜一七〇四年)以降である。そして明和・安永(一七六四〜八一年)の頃になると、世間一般に判じ絵の摺(す)り物を交換する遊びが流行(はや)ったり、浮世絵の画題に文字の代わりに判じ絵を用いる風が広まり、洒落(しゃれ)本・浮世草子が生まれて江戸風の「洒落」とか「通」が庶民生活のなかの一つの流れになってくるとともに、看板にもそれに応じた意匠が工夫された。
江戸時代における看板をその用いられる場所によって分けると、大きくは屋内用と屋外用とに分かれる。屋内用は薬屋などに見られるように店の正面に立てる大きな衝立式の「置看板」、壁に懸ける「懸看板」、これらをいっそう装飾的にした「飾看板」などがある。屋外用には「軒看板」・「立看板」・「屋根看板」があるが、商家の軒先に吊(つる)す軒看板がもっとも多く、これは店の左右どちらから来ても見られるように吊るし、両面に書いたり刻んだりしたものが多い。街路に置く立看板は立体的なものであるが、夜間には店内にしまう小型のものと、台石を置き支柱を立てた豪華な常設のものとある。このもっとも代表的なのが江戸日本橋駿河町の大店(おおだな)越後屋の看板である。こうした大型の立看板は主として江戸で発達し、大阪は道が狭いため常設の立看板は発達せず、むしろ屋根の上に大きく取り付けた屋根看板が多く見られた。
夜間の営業に重きをおく商屋では「行灯(あんどん)看板」や「提灯看板」を用い、遊女屋・待合茶屋・旅籠(はたご)屋などは掛行灯、うなぎ屋などは軒行灯、芝居茶屋などは提灯を用いた。他に米屋・魚屋・髪結床・茶屋・甘酒屋などは表障子を利用した「障子看板」、餅屋・寿司屋・砂糖屋などは「旗看板」・「幟(のぼり)看板」が多かった。

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