売薬は各地の社寺や医家で、神仏のご託宣、あるいは家伝、秘方などと称して作られていた。
一方、江戸中期、都市や街道の整備、流通経済圏の拡大に伴い、薬業も大いに発展した。中国の医薬書の導入などもあって、すぐれた売薬が各地で作られ、特に京・大坂・江戸の各都市、街道筋、門前町に薬屋が大きな店舗を構えるようになった。
これからの薬舗では、目を見張るような立派な看板を掲げ、多色刷の美しいちらしを作るなど、広告宣伝に大いに力を入れて一般の関心をひいた。薬屋は当時から常に先取的で、商業経済の上でも、広告面でも時代の先端を行っていたようだ。